私の環境はまさにお芝居(時代劇)とともにあったように思います!
子供の頃は柳の木を削り大刀小刀を作り、時間さえあればチャンバラごっこをしていた記憶がある。
親戚が営む東映映画封切館に父親が支配人を頼まれ、本業以外に映画館の経営に参画していたようだが当時は無料(ただ)で観れる喜びだけだったように思う。
まだ子供だった私は、伯母が担当する木戸をくぐり抜けてそれこそ毎日映画館に行っていましたが、子供心ながら大川橋蔵や中村錦之助はかっこ良く、当時私の中では間違いなくヒーローでした。
小学校へ上がってももうその頃の私はヒーローに成りきっていたようです!(笑)
社会に出ても劇団に入ったのはスターになりたい等ではなく芝居が好きだというだけの欲のない動機。百貨店勤務をしていた私はそれからいろんな職業に就く。
結局、好きな制作会社を立ち上げましたが、それまで培ってきた様々な職業がとても役立つことになっていきました。
勿論、仕事が全て順調だった訳でなく、「人間は働くために食うのか、それとも食うために働くのか」等を自問自答したこともありましたが、若かったせいかあまり物事に執着心はなかったようです。
ただ、小売業それも老舗という世界で過ごした経験は感覚的に今の仕事にとても役立っていることは確かです。
どうしても若者は何かを簡単に得ようとする傾向が否めない様ですが、私の人生観からすると、好きという括りでこだわるということは本物に近いと思えるのですが、当然それは究極の努力という裏付けがあって達成されるということを忘れてはいけないことを知るのです。
出来ない人、やらない人に限って言い訳をするという定義めいたこともそこで明確に分かって来ました。
前回でしたか、私は苦しい時にジョギングをしたとお話しましたが、これとて出来る様でなかなか出来るものではありません。
苦しいからジョギングをするのではなく、何もやらずに悩んだり苦しんでいても体調を崩すだけだし、どうせやることが無いのならジョギングやトレーニングを・・
は本当に私を助けてくれました。
悩みのある時期ですから・・・、苦しんでいる時ですからきっと簡単ではなかったと自分でも思います。
しかし、一旦飛び出してしまうと、汗をかき始めると、様々にプラスのことしか浮かんできませんでしたね。
従って、スランプの時間や時期は短かったのは確かでした。
イベント制作を多く手掛けた中に、現在の大物歌手やタレントを多く採り入れプレゼンしていきました。バブルということもあって本当に多くのタレントやアーティストに接することが出来たのはラッキー以外なかったでしょうね!
当然、そんな中、ミュージカルやお芝居、歌謡ショー等々の舞台に何度も足を運びましたが、当然学ぶことだらけでした。
惹きこまれるる舞台は間違いなくいつも満員でした。イギリスで観た「ファントムオブザ・オペラ」、日本では本田美奈子の「ミス・サイゴン」をなんと8回も観ました。
これらは日本の時代劇とは違いますが、「感動」のイロハを学んだような気がします。
あれから何十年経ったでしょうか!?現在制作される「時代劇」を観ていると一抹の不安を感じてなりません。
演技に深みがない!会話(セリフ)に時代性を感じない!そして何より時代劇特有の「間」を感じない(涙)
先日大河ドラマで詠うシーンがありました。可愛そうなくらいひどいものです。
このまま制作し続けるといわゆる時代劇の良さが消え失せてしまいそうで怖い。
つまり、文化を残すということにならないのです。仕事の関係で毎日1本は観ようと決めて「東映映画(時代劇)」を観ていますが、実に美しい!
橋蔵や錦之助等々に独特の色気を感じます。華やかで、粋でいなせでと言っても若い人には理解できないのかも知れませんね(涙)。
でも、そうとばかりは決めつけられない。波島教室に通う生徒さんの中には、歴女もいてその好奇心は本物って若者もいるからです。
目的があって日舞を習いに来る訳だから、その辺に「本物」を身につけてもらうことも我々の使命ではないだろうか・・・とも思っています。
先日、「古典を2年近くやっていまして・・・」と教室の門を叩いて来た体験者がいましたが、それ以降自己流で踊っていますと言うので少し体験で舞いを見せて
もらいました。「んんんんんん・・・!」
やりたい事と出来ることの違い!!まったく基本がなっていない(涙)
厳しい言い方をすれば「日舞」を舐めているとしか言いようがありませんでした。
何を根拠に古典を習っていたと言えたのか!?確かに、踊りでもお芝居でも楽しみながらやることが大前提だとは思うがこの芸の道だけは決して嘘は通らないのです。
趣味で楽しんでいる人たちに対してはあまりここはこだわらなくても良いのでしょうが、せめて長い時間を教室で習うとなれば、教える側に大きな責任がある筈。
波島教室にも問題が無かった訳ではない!いつだったか、お稽古途中に踊りに邪魔だからと下に置いてあった日傘を足で蹴って端に寄せた女性(せいと)がいました。
唖然というより言葉を失ってしまった!本人は先生も私も見ていないと思った瞬間だったに違いありません。
私が、深みのあると言ったのは、情緒が大切と言ったのは、礼儀作法と言ったのは、人の見ていないところでこそ何かを労わり、思いやる心を学びながら美の追求を重ねて欲しいと思う下りなのです。
その心が内から出ることで美しさを表現できると繰り返し話すことが分かっていないのではないだろうか!!悲しくも当時はそう思いました。
舞台で、どんなに綺麗に美しく踊ろうと思っても、内面に潜むその人の心根こそが美しさや優しさとして顔を覗かせるような気がしてならないのです。
つまり、日本舞踊は心の表現なんだと訴えたいのです。
ミス・サイゴンは高い入場料でした。それを8回も観るにはやはりそこに価値が無ければ観ようとする心は動かない。今尚ながら、あの本田美奈子が惜しまれてなりません。
大衆演劇が大好きで、その舞踊に憧れて・・・と入って来る人は少なくありません。そして、若者は瞳を輝かせて入会の説明に聞き入ります。
その瞳を見ていると、なんとかしてあげたいと思うんですね。特に若者が多い波島教室にあって、日本の文化・伝統を伝えるということは大きな責任があると思っています。
家元の波島陽子は芸能生活28年近くになるまだまだ若い女優さんです。
日本の伝統や文化を伝えるに最もふさわしい指導者であることは間違いありませんが、そこに本物を熟知した私が居るのだからその指導に徹底して補佐しなければと思っているところです。
楽しむだけでなく、観る人をも楽しませる舞台があってこその文化でなければならないのではないでしょうか!
先日、デンマークへ派遣される女子中学生がゆかたの着付けを習いにやって来ました。お稽古を終えて撮った写真はまるでタレントさんのように可愛らしく、ゆかたがとってもよく似合う学生さんでした。
初々しさもあってかブロマイドにしたいくらいでしたね!彼女たちは17名で日本の文化を紹介して来ますが(日舞で)、素晴しい行事だと思っています。
私たちが関わってから7年になります。あくまでもキチンと指導することが本当の指導であり正しい伝え方だと思っています。
特に、テレビの世界では人気タレントだからとキャスティングされることが多々ありますが、悲劇に近い作品になり兼ねないのと、嘘の所作だけは演じて欲しくないと願うばかりでいます。
正しい所作を知らない制作担当者がどうやって演技指導をするのか、そのことで重みも深みもない作品が目白押しでは悲しいですね。
本物を伝える!本物を演じてもらう・・・。その為に何が必要か、何が不要かをしっかりと見極められる心の目を養って欲しいと思わずにはいられません。
私も、まだまだ東映作品から学びたい!そう思って追求していきます!
そして、芝居で培った波島陽子の魅力!流派にこだわることなく舞を追求し続けての今日がありますが、こだわって欲しいですね。波島陽子ならではのこだわり!
そこに大切な存在感が顔を覗かせると確信しています。
本物の美しさは決して嘘をつけないのだから!楽しみですね!