日本人で良かった

波島陽子が芸能界入りして今年35年を迎えました。続けることの大切さを今更のように感じさせてくれます。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いで全国の劇場を回っていた女剣劇の淺香光代師に師事したことは先見の目があったとしか言いようのないほど彼女にとっては大きな財産になりました。大衆演劇の中でも群を抜く正統派だった淺香先生の舞台は何故こんなにも人気があったのか・・・。
時代劇の好きな私だからこそその謎は簡単に解けました。時代劇フアンならご存知でしょうが、昭和にピッタリ合致した大衆文学作家「長谷川伸」。代表作はあまりにも有名な作品ばかり。
「関の弥太っぺ」「雪の渡り鳥」「瞼の母」等々は調べてみたら全て1930年代の作品でした。舞台では、おそらく終戦から日本が立ち上がろうとした当時に多く扱われた作品で、もっとも日本人向けの人情物であったことが分かります。
先に、淺香光代先生と言いましたがこの大看板に勝る役者は居なかったでよう。映画では中村錦之助が大人気を博した代表作になったのもうなづけます。
舞台では、「できれば淺香光代本人に演じて欲しい」と長谷川伸本人が言ったほどと聞いています。私も淺香先生の「瞼の母」や「一本刀土俵入り」を見せて頂いたことがありますが、粋でいながら色気があって、素晴らしい役者さんでした。

その淺香事務所に飛び込んでの厳しい修行の数々。波島陽子は当時「森陽子」として娘役を頑張っていたようです。
何とも言えない色気や粋さ加減はやはり師である淺香先生の影響は大きかったでしょうね。
独立して14~5年になりますが、その心を継いでいるのは波島と言って過言ではありません。

日本人で良かった

ご存知の新舞踊とはその殆どが演歌や歌謡曲を舞うことを指します。大衆演劇に多いですね。一度波島陽子の新舞踊を観たことのある人は言いようのない感動を覚えるようです。それが「美しさ」です。花柳や西川流に学び女剣劇で磨かれた芝居心。他の真似の出来ない財産でしょう。同じ楽曲を日本中のあちらこちらで様々な先生が振付けて舞台で表現していますが、そこには新舞踊の域を超えた品と表現できないほどの美しさがある・・・と大絶賛。「だから波島陽子に新舞踊の振付が殺到するんだ」・・・と納得。まさに日本の宝ですね。
その波島陽子が今年芸能生活35周年を迎えたということです。今まさに円熟しきった年齢で躍動感に満ちた舞を魅せてくれています。
ご案内のように、今年は秋に波島の生まれ故郷湯沢市でその記念の舞台に上がります。地元にはここでも頑張っている湯乃華芸妓なる団体が故郷の伝統芸を遺したいと今年で発足5周年。双方が手を組むことで夢の舞台が実現することになりました。
江戸は浅草で磨いた粋な芸、芸舞妓を率いる湯乃華の艶やかな芸とで幕を開けます。
ここまで思いのこもった舞台はそうそうお目にかかれません。東京オリンピックに湧く2020年ですが、その締めくくりは「粋と艶との花舞台」。日本の心に触れることの出来る夢のような舞台です。
それぞれの想いを伝えるということはこんなにも素晴らしいものか・・・と秋にはこぞって秋田県湯沢市へお出かけください。
粋を感じることが出来たら、艶を味わうことが出来たら、きっと日本人で良かったと思えるはずです。

 

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