令和に日本舞踊が似合う

新しい時代に向かって

改めまして新しい令和(じだい)も波島陽子日本舞踊教室を宜しくお願い致します。
いろんな意味でこの令和という時代はどんな出来事が待っているんでしょうね。

お世話になっている先生からこんなコメントが届きました。
「男性には「令和」、女性には「麗和」。 令はきりっとしているし、麗は雅なので。
そう思うと陽子さんは二つの姿を持っていますね」と波島を評してくださいました。

嬉しさこの上なくきっと波島は恐縮しきりでしょう。 丁度「令和」の歌(万葉集)にある梅の時期に波島は観世能楽堂(GINZASIX)の舞台に立っていました。
今考えてみると何かとっても不思議な感じがしてなりません。 舞台は高く評価され参加できたお弟子さんまでもが多くの拍手喝采を頂けました。
昭和がすっかり昔々の古い時代になってしまったようですが、それでも波島は日本の伝統を後世に遺す使命をもって日々お稽古に心血を注いでいます。

私も昭和の時代をどっぷり味わいながら育った口ですが、戦争を知らずに育ったことは有難かったと思っています。
でもどうでしょう。 昭和の歌には日本の心がしっかり棲みついていましたね。従って映画などもそれは美しかった。 東映の時代劇ででも分かる通り、中村錦之助・片岡千恵蔵・市川歌右衛門・大川橋蔵他、女優陣は桜町弘子・花園ひろみ・大川恵子等々言葉にならない時代感と美しさが溢れていました。
これは日本舞踊関係者として観るのではなく、当時の時代を一緒に歩けた幸福感のようなものが染みついていました。
これを今の若者にどんなに説明しても分かってもらえないのが時代の変化なのでしょう。何か怖い感さえするのは決して私だけではない筈ですが、ご存知のようにここまで発達したネット社会においてはもう無理に近いことなのかも知れませんね。

「美しさって一体何なんだろう・・・」の疑問は永遠の課題になるのかも知れません。

日本舞踊をお稽古している生徒さんたちを観るとき、それでもまだこの時代に日本舞踊を習いたい・・・と通われるだけあってそうした若者は決して捨てたもんじゃないと期待を寄せています。
美しさに憧れる平成の若者たち。当教室には20名ほどの昭和の先輩たちも通われている関係で平成の若者たちも良い影響を受けています。 素直なんですね。
それが大事だということを感じてもらえるだけでもお稽古に通う意義があると思えるくらいです。
やはり、日本舞踊を観ていただくときに平成の若者でもその「美しさ」は間違いなく判るんでしょう。大きな影響を受けているのが何よりの証拠です。
でも、一歩出ればもう令和です。 平成でこれだけ大きな変化があったんです。令和がどんな時代に、またどんな人間を創り上げてゆくのか楽しみでもあり怖い気もします。

ただ、時代がどんなに変わっても、日本らしい美しさだけは決して失くしてはいけないのです。 理屈は要りません。 日本人だからです。
日本人に流れている「血」は、世界のどの国にも真似ることの出来ない素晴らしい人としての「感性」が流れています。
若者もそこは自信をもつべきでしょうね。先日ご退位なされた上皇様上皇後様から学びませんでしたか!?
日本国民がこれほど感動し涙するという出来事は今までに無かったでしょう。その優しさはまぎれもなく全て「日本の心」であったはずです。

悲しいかな最近の大臣(政治家の殆ど)の情けない行動を観てつくづくそう思います
ね。 それは心が無いからです。私が大変な発言をしていることは百も承知です。
でも最近の政治家は骨のある本物の政治家が居ない。 そう断言できます。
優しさとは、心です。政治も心です。 それは人間だからです。 愛することも、憎むことも、優しくできることも全て心からの行動なんですね。

政治家になり、先生と言われ偉くなったと思う心。 上皇や上皇後様を見習っては・・
と言いたいですね。
骨のない政治家に世の中を変えられたらたまったものじゃありません。

令和という響きは何か良い事が起きるようなそんな予感がしませんか!?
確かにこれだけ世の中が変わった平成です。しかし、万葉集に詠われたあの美しい光景に見るようにせめて日本人の素晴らしい心だけは大切にしていきたいものです。

特に日本の伝統である着物に関わりながらその美しさを追求する波島陽子日本舞踊教室。 家元の波島陽子に触れた生徒さん全員がその優しさに触れ、その心根を通して学んでいます。 令和に日本舞踊が似合う。

波島教室の全員がそう思いながら楽しく日本舞踊を学べたらこの上ない幸せです。

 

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