昭和の童

昭和に不自由しなかったのは「自由」だったということだろうか!?
と同時に子供の頃から遊びの名人だった。自然児だったからね。

前項で「騎馬戦」の思い出を語りましたが、今のようにプラスチックの玩具が無かった当時、全て遊び道具は手作りだ。
今でこそ、竹馬に似た遊具に「ジャンプホール」や「ジャンピング」、パカポコなるプラスチック遊具がある。これでは子供は育たない。工夫とかアイデアなどとは縁遠い訳だ。
水鉄砲など朝飯前、杉鉄砲、グライダーやゴム鉄砲。遊びには事欠かない時代にアイデアとの闘いでもあった。
勿論その殆どが裸足だ。もう傷だらけのわんぱくと言っていい。考えてみると懐かしい遊びがドンドン思い出される。

好奇心旺盛な私は今でも忘れない苦い思い出がある。
確か私が小学3年生の頃だったと思う。 当時私には手の届かない高い所に買って来たばかりのラジオが我が家にやって来た。NHKのラジオドラマは面白かった。でも不思議に感じる年ごろでもあった。
どうしてラジオはこんなにもハッキリまるでその中でいろんな人が居るようで、ドラマが展開はそれはそれは不思議だった。
好奇心旺盛な少年はとうとう挑戦開始。分りもしないのにラジオを分解し始めたのだ!!中がどうなっているか知りたい!!
勿論分る訳もない・・・・!! 元通りにしようとしたが、それも分る筈もない。
帰宅した父がそれを見て怒った怒った!!
それ以来私は機械類が大の苦手というか大嫌いになってしまった。寺の倅だったので歴史や国語等が得意なのはそれも父の影響。
影響の大きさの違いは時代でもあったようだ。それでも手作りは大の得意。
鉛筆を削る。鉈で木を割る。縄で縛る。みんなみんな手作りだった。
良い時代だったと思う。