魅せようとする嘘

コロナ対策も大きく様変わりし、国民の誰もが右往左往しているのが正直なところだろうと思う。
様々なイベント関係者も、また私等の日本舞踊の舞台もまだ思い切って踏み込むことの出来ない状況が続いています。

それでも昨秋の「粋と艶との花舞台」(浅草公会堂)の舞台は運が良かった様です。こうしたときの開催の決断というのは実に難しいですね。
私もイベントの仕事に40数年関わって来ましたが、屋外でのイベントは天候が勝負。それ以外はなんの心配もしたことがありませんでした。

平成4年の頃だったと思います。デズニーランドの近くにある某ホテルで丁度今頃の時期に「堺正章ディナーショー」を仕掛けたことが有りました。
ところが、深夜から降り出した雪で開催準備はてんやわんや!! 切符は完売でしたが、停電になり舞台のバトンが降りない!音合わせが出来ない・・・等々。なんとかやりくりし冷や汗の開催でしたが、これも天候が相手。

ところが最近はコロナだから「劇場には集まってはダメだ・・・」などという出来事が起きようなど誰が想像しただろう。

 

今回もコロナ禍に開催した昨年の舞台(浅草公会堂)。
ところが、その幕を降ろしてから驚くほど多くのみなさんから連絡を受けています。
一番多いのが勿論日舞の舞台に関してです。嬉しいですね。

今日も友から電話が来ました。「波島陽子の力量について」でした。
芸の良し悪しを知っている人と語り合うのは本当に勉強になります。
いろいろお話をしますが、特に今回のお話は波島陽子の力量についてでした。

ひとことで言えば波島の修行時代は幸せでしたね。
人一倍厳しい淺香光代師匠にしごかれ通したんですから。舞台に関することは勿論ですが、小道具の扱いや管理、同じくお着物もそうです。
時代時代にそれぞれ違った取り合わせや着付けの方法。つまり時代考証ですね。最近のテレビを見ても嘘が多すぎることに嘆いていますが、それはスタッフの力量以外ありません。

漫画ならし方ありませんが、時代考証に嘘があっては伝承にはなりません。
波島陽子の舞台はそこが違うというのです。時代の色彩感覚や背景、踊りそのものの艶やかさや美しさ。
新舞踊の舞台(新舞踊)ではなかなか見ない美しさとも言っていました。
「ああ、目の付け所が違うな・・・・」と嬉しくなりましたね。

魅せようとする嘘

全国から届く振付作品の注文の多さはその殆どが各流派の指導者からです。
私は、この振付ビデオの制作には最初から関わって来ただけにその経緯がとてもよく分かります。
波島陽子の新舞踊は、大衆演劇とは大きく違います。師匠淺香光代の女剣劇の舞台で学んで来たはずなのにどうしてここまで美しい!!?
そう思わせます。
芝居にも、踊りにも勿論綺麗に魅せるために「うそ」がときどき顔を覗かせる作品は少なくありません。
ところが、波島作品には魅せようとする嘘がないんです。歌詞に、その時代背景に、とても忠実に振付けられ、歌謡曲の作曲でいうならまるで「遠藤実先生」のような作品作りと言って良いでしょう。つまり、人の心を打つ・・・とも言います。

それには、優しさや悲しさ、思いやりや風情を感じる等々、日本人としての感性がそこにないとこうした作品は出来ないでしょう。

仕上がった舞台が何故美しい!? 他の舞台とどこが違う!?
まるで日本の心を伝えるための錬金術師のようにその空気(かぜ)を知って居る波島だからこその作品です。。
劇場スタッフでさえ舌をまく仕上がりと演出。今の世になくてはならない人材ですねと多くの支持者。

特にインバウンドと称し、上辺をなぞった若者が金儲けで殺陣と称したり日本舞踊体験などと言っていますが、奥の深い芸術にもっと特化し純粋に日本を愛し若者に伝えていって欲しいと願わずにはおられません。