我慢の基準

「良かったね~・・・・」と言いたい。

食事処も活気ある応対の声がどこかしこと聞こえて来ます。「良かった・・・」と思うは本音です。

勿論、まだ外国人の姿は殆ど見えませんが、仲見世も従来の賑わいに戻ったような気がします。

嬉しいことですが、私なんかイマイチ信用しないでいます。辛く淋しいことですが、大勢の生徒さんを預かっている関係で私の行動は「絶対」が求められるからです。

疑心暗鬼ということばがありますね。いつかスカッとした気分になれる日を夢みてもう少しと言い聞かせています。

そりゃ~私だって旅行したいですよ。もう随分出かけていませんからね。こうして観光を楽しんでいる皆さんを見ていると、この人たちの「我慢の基準」ってどの辺なんだろうな・・・って。

経済が回らないことの悪夢を、戦争体験の無い私が、このコロナで人の苦しむ姿を沢山見てきました。今回のコロナは平和ボケした人間にどこまで意識づけを与えたのかと思わずにはおられない。

前回、「歩きスマホ」について綴りましたが、自分に追いかぶさらない難儀は所詮他人事。このことを多く知りました。

こうして仲間たち、或いは家族で訪れるそれぞれの観光地。大丈夫と思うからの行動でしょうが、こうした皆さんは全国にどれだけいるんでしょうね。

仲見世や浅草界隈の賑わいを嬉しく思う反面、もう決して感染者によって緊急事態宣言発令なんてことのないようにと心の底から祈っています。