負けない心

私は長い年月企画制作会社を営んで来ました。一番最初に手掛けた企画が「アニメーションフェスティバル」でした。この企画はまだ誰もが手掛けたことがなく画期的で一大イベントでしたね。まだ昭和の50年代でしたからもう歴史そのものです。

今でこそアニメの「声優」さんたちは注目を浴び脚光を浴びその表舞台で活躍していますが当時は顔さえ知られていない。考えてみたら今のようにパソコンなどと言うツールの普及していない時代ですからね。

この企画を皮切りに全国、いや世界に飛び出したんですから何かを考えることが本当に好きだったんでしょう私は。

冒頭で語ったアニメーションフェスティバルは日本最初のイベントでした。こうした傍ら、地域振興事業を多く手掛けるようになり「中村久子」さんや「中山晋平生誕祭」等々数えきれない企画と向き合ってきました。

時代が変わり、ネット社会となり何でも簡単に見つけることが出来たり、情報を得たりも驚くほどの変わりよう。若者にすれば「何言ってるんだい・・・」と馬鹿にされかねないほど現在は当たり前になっています。

例えば、私は大手百貨店で酉年のイベントに、出来るだけ多くの鳥を集めて新年を迎える企画を提案したことがありました。販促担当者や店長は即乗って来ました。「是非やろう・・・・」、つまり、鳥という鳥を出来るだけ多く集めて新年を迎えようというのです。今ならこんな簡単な企画は無いですね。しかし、当時はネットというものが無い時代です。企画書を出した手前集めなければならない。でも、それらの鳥はどこに居るの・・・・です!!

何故そんなアイデアをと思うでしょうが、だって孔雀は必ずどこかに居るでしょう。金鶏銀鶏、尾長どり・・・・。みんな図鑑を見れば分ります。

2ケ月もかかって探しました。つまり貸してくださる人でないと話は進まないんです。

結果、集めましたね。居るものですね!「キジ」「孔雀」「尾長どり」「金鶏」「ギン鶏」「チャボ」「一番どり」等々。嘘みたいに貸して下さるというのです。それも無料で!!「こんなんで役に立つんならいつでもどうぞ・・・・!」と。しかもお礼を受け取らないんです!!十五畳ほどのスペースの鳥小屋を作り、そこになんと全部一緒に入れました。その豪華で見事なこと。こんな光景誰も見たこと無いとテレビに新聞にとその話題は凄かった。田舎だから出来たのかも知れない。みんな優しいですからね。

新年に「コケコッコー・・・・」と聞いたときは涙が出ました。ご存知のように地域振興に至ってはいろんなアイデアがあるものです。

ただここで大変なことがあることを忘れてはならないんですよ。今でこそ多くの「詐欺事件」が後を絶ちませんが、当時も当然それに似た話はありました。何の見識も知識も経験もない者がいかにも自分の提案(きかく)で集客が出来る等の営業で行動するペテン師が居るということです。

例に漏れず私もその被害を受け、新築の家を売るという厳しい経験をしたことがあります。勿論管理能力が欠けていたと言われればその通りです。

しかし、考えてみて欲しい。特に地方へ行けば行くほどお人好しの集まりです。いかにも自分のやっていることがさもさもらしいと説き伏せて町興し費用をふんだくる(この言葉が一番合っています)。

基本、町のことなど考えていません。自分の利益のことしか考えない。これは勿論今でも居るでしょうね。気づいた時はもうかき回された後だった。これも間違いのないペテン師です。イベントの仕事を何十年も手掛けて来たからこそ良く判っています。

これは地域興しに限らず、商売なんでもそうですね。

日本舞踊を教えている波島陽子を見てつくづくそう思います。彼女は真逆で本当にお人好しです。生徒たちの喜ぶ顔が生きがいで頑張っているようなものです。

この教室が素晴らしい評価を受けているのは、まさに人として真心のみで歩いている証なんです。トコトン叩きのめされた経験を持つ私が、波島の様に諦めずに活性化であり歴史を伝え続ける人に会えたことこそ観音様の御導きなんだと思えてなりません。調子の良い人間はやはり軽薄です。一生懸命な人間を騙すわけですから許せませんね。

特に芸事など、この道に関わった者でなければ分かる筈がありません。私は長年多くの芸能人の舞台を制作し続けてきました。ご存知のように、現在はコロナでイベント関係者は本当に冷え上がっています。だからこそ、この状況に負けず正しい在り方で秋の舞台(湯沢)の幕を開けてあげたいですね。

湯沢の舞台が終わっても、更に元気にみなさんの笑顔に会うために、そして頑張っているスタッフや出演者。みんな一生懸命だからね。