海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ啼け啼け もう日はくれた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
暮れりゃ 砂山
汐鳴りばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
かえろ かえろよ
茱萸原(ぐみわら)わけて
すずめさよなら さよなら あした
海よさよなら さよなら あした
ご存知「砂山」です。
子供のころから本当によく歌った歌です。昭和そのものと言って良いでしょうね。
大好きな北原白秋の詩にあの中山晋平が曲をつけた作品です。どうしてこんなにも素晴らしいメロディが生まれるんでしょうね!!!
おそらく同級生の中でも私が一番このような素晴らしい童謡を歌ったんじゃないだろうか・・・!?
中山晋平は誰もが知っている作品のオンパレードです。「ゴンドラの唄」「てるてる坊主」「あめふり」「証城寺の狸囃子」「船頭小唄」「肩たたき」そしてこの「砂山」等々。 勿論まだまだ数えきれないほどの作品です。
中山晋平は長野県中野市の出身で私は何度もこの中山記念館に足を運びました。中山先生は心のふるさとをメロディーにしたまさに天才作曲家なんですね。
確かに日本海は茱萸(ぐみ)が生い茂り雀がいっぱいでした。
私は「母さんお肩をたたきましょう・・・」「雨降りお月さん・・・」と謡いました謡いました。
人生というのは本当に不思議なもので中野市で行われた「中山晋平生誕100年祭」の式典(イベント)を当時私が任されて取り仕切ったことがありました。
確か昭和から平成になる頃だったと思います。
何故私にこの話(きかく)が舞い込んだかと言いますと、勿論記念館に通ったことはその通りですが、実は私が音楽家の山本直純先生と二人で温泉旅行に行く間柄であったことがそのきっかけでした。
「先生、中野市で中山晋平生誕100年祭をやるんだそうです。何か良いアイデアをください・・・」と。山本先生がまとめてくださった構成(きかく)を中野市に持ち込んでこの話が決まったんです。
市民会館でその行事は盛大に執り行われました。今でも中山晋平の曲がテレビから流れると当時のことが思い出されるんです。
よく「日本の心」・・・と言いますが、優しさと郷愁でいっぱいのメロディーはまさに日本の心そのものですね。
時代の変遷はその面影すらなくなったように現代の歌番組は騒々しいといった方が分かりやすいほど変わってしまいました。
昨年の私の誕生日(8月)にスタッフがそのお祝いにと富士山周辺ドライブに連れて行ってくれました。 さすが日本一。一面に広がるひまわり畑に感動しました。大好きな「忍野八海」・・・と案内し到着したら中国人でいっぱいでした!!その騒々しさといったら正直幻滅でした(笑)
考えてみると、日本人は「愛でる」ことの出来る国民なんですね。だからこそこうした素晴らしい童謡が生まれたんだと思います。
先日、4歳の女の子のお母さんからメールが届きました。「うちの娘に日本舞踊を習わせたいのですが・・・」。きっと若いお母さんなんだろうなと思います。
私は日舞の教室を運営しながらいつも思い願うんです。日本舞踊を通じて「日本の心」に触れてもらえたらどんなに素晴らしいことだろう・・・と。優しさって日本の心そのものですから。
童謡、唱歌、歌謡曲・・・と歌も大きく様変わりしていますが、中山晋平のような心こそ日本の原点だと思っています。