私が大好きな大人の童話をご紹介しましょう。 私が21歳の頃、素晴らしい大人の童話があるよ・・・とあるデザイナーに紹介され、それ以来虜になった立原えりかさんの最高傑作です。
ひなまつりに、ゆっくり目を通して下さい。みなさんにプレゼントします。
「花かんざし」
人形つくりは家(うち)が立ち並ぶ古い町の路地裏に一人で住んでいます。
もう20年も雛人形を作りつづけてきました。
ある年の3月3日、ひなの祭り。人形つくりはもう何十年も昔、人形つくりのおばあさんがお嫁にくるとき持ってきた大切な雛人形を手にしています。
「どれ、今年はどこか直して欲しいところがあるかね」、人形つくりは古い雛人形に話しかけました。 「かんざしを・・・」、まるで花びらが触れあうようなかすかな声を聞いたと人形つくりは思いました。 「いいとも!お前に桃の花の形のかんざしを作ってあげよう」
人形つくりはそう言うと銀の板を取り出して仕事を始めました。
そうして作り上げたのは、本当の花びらよりも薄くて軽い銀の花かんざしでした。
人形つくりは、自分の吹きかける息にも揺れてチリチリと歌う小さなかんざしを古い雛人形の髪にそっと挿(さ)してやったのです。
人形つくりが銀の花かんざしを作った年から何年か後に戦争が始まりました。
その年の3月3日、戦争の火は町全部をなめつくし、家を焼き払ってしまったのです。 人々に交じって、人形つくりも何ひとつ持たずに仕事場を捨てました。
絶え間なく降ってくる天からの火を逃れて逃げまどいました。 すぐそばで少女が倒れても助けてやることができませんでした。 水を欲しがる子供に、ひとすくいの冷たく澄んだものを運んでやることも出来ませんでした。
人形作りのそばで、何人もの人が死んでゆき、彼も燃え盛る火の粉を右腕に浴びて大けがをしていました。
誰ひとりひな祭りなど出来なかったどこかにその年も桃の花が咲いてうぐいすが鳴き始めたことなど忘れてしまった夜が明けたとき、人形つくりは自分の仕事場に戻ってきました。 町は隅から隅まで焼けただれて、もう焼くものを失った火が醜い煙を上げ、ブスブスと音をたてているばかりでした。人形つくりは息を呑みました。
確かにそこだったはずの仕事場は、天井も壁も柱のかけらも残ってはいません。
けれどもそこにはうず高く積み上げられた桐の箱の残骸が残っていました。
何十組もの内裏雛が緋色の袴のボロボロに焼かれた官女たちが箱からはみ出して重なり合っています。
首は折られ、手や足はもがれ、髪の毛は焼けただれて人形たちはまだ煙を上げていました。人形つくりはそこに立って雛人形たちが燃えつくしてしまうのをまるで人間の世界を呪ってでもいるような声をあげながら崩れ灰になってゆくのをじっと見守ることしか出来ませんでした。 その火を消してやる水がなかったのです。
「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ」、人形つくりは崩れて折れ重なっている雛人形たちを片端から救いあげようとしてみました。 けれど、手のひらにのせるだけで人形はほろりとこぼれて地面に消える灰になっていたのでした。
朝の光は空に春が来たことを知らせていました。
さて、その戦争が終わっても人形つくりには人形をこしらえることができませんでした。 戦争で大やけどを覆った右手はもう使えなくなっていたからです。
町に平和が戻り、雛の祭りが帰ってきても、人形つくりには雛の祭りは戻っては来ませんでした。 これから先、どんなふうにして生きてゆけばいいのかと人形つくりは考えました。 失った右手をぼんやり見つめました。 そのときです。うなだれている人形つくりの耳にカラカラと回りながら近づいてくる何かの音が聞こえました。
人形つくりは外を眺めました。そこには穏やかな月の光が溢れていました。
光の下に広がっていたのはまだ焼跡を残している町ではありません。
溢れるばかりに咲いて匂っている桃の林が人形つくりの目の前に広がったのです。
そうして咲き匂う桃の小枝が天涯(てんがい)のように伸びている林の中の道を一台の御所車が進んでくるのでした。 黒い漆塗りに金泥(きんでい)の模様をつけた御所車は降りかかる桃の花びらを浴びて静かにやってきます。人形つくりは思いがけない光景をもっとよく見ようと外に出ました。 薄紅色の花の中へ分け入って行きました。
御所車がかすかにきしって止まると降り立ったのは薄紫の着物を着た女の人です。
ほっと匂うように、その人は笑いました。
「どなたです?どこから来たのです?」人形作りは尋ねました。
「ずっとずっと遠くからあなたのお嫁になりにきました。あなたの右手の代わりになるために」、女の人は言いました。 「どうぞあなたの好きな名で私を呼んでください」、その声を確かにいつかどこかで聞いたことがあると人形つくりは思いました。
おっとりと白いその顔にもいつか出会ったことがあると。
じっと見つめている人形つくりの前で女の人は微笑みました。そっと首をかしげました。
すると黒い絹糸のような髪に飾られたかんざしがチリチリと歌ったのです。
それは、この世にふたつとあるはずがない人形つくりがこしらえた銀の花
かんざしでた。
「終らない祭りより 作:立原えりか