昭和の童

雪国に住んでいないと巡り会えない光景。それもまだ昭和の昔々の物語。
しんばいの頃はまもなく春ですよ・・・の兆し。
特に朝方の美しさは表現の出来ない世界です。考えたら夢の世界で生活していたようなものですね。

壮大なキャンパスはアングル次第では神秘そのものでした。
辛く不便だったはずも、便利を知らない訳だからその当たり前は今になったらやはり私には財産でした。

かまくらを作ったり冒険ごっこ、歩きながらシャベルを担ぎ振り向いたらシャベルがよその家のガラス戸に当り割れてしまう。

雪国には雁木(がんぎ)というのがあって、冬はその軒先が道路として繋がっていて、寒いときはその雁木通りがなんと凍っていて何度滑って転んだことか!?
まだ私が小学校へ上がる前だったと思う。本寺(本家)の玄関をその寺の友だちと綺麗に掃除をし、さあ除夜の鐘を・・・の頃でした。
掃除をした玄関先によりによって水を撒いて綺麗に仕上げたつもり。本家の子とは同級生でとても仲良しでした。
「あばや・・・」(さようならの意)と別れ私は自宅に。

朝、家中が騒々しく、母は本家に行ったらしく父も会社へ行く前でしたが様子の変化に異様な雰囲気が漂っていました。
本家のおばちゃんが玄関で滑って転んでしまったそうだ!!
つまり、撒いた水が朝凍っていたんですね。薄い氷は凍ったようには見えなかったらしく思いっきり転んだんですね!!

おばちゃんはそれ以来10年も寝たきりになりました。まだその意味が分からなかったらしい子供たち。
怒られた記憶はありません。雪国の悲劇でしたが、私には生涯忘れられない大変な思い出になりました。そして、神秘に隠れた辛く怖い思い出でした。