• 昭和の童
  • 昭和の童
  • 昭和の童
  • 昭和の童

生まれて18年間、豪雪で育った私。基本、そこまでの生活を綴っていますが、なんと言っても雪に関する思い出は語り尽くせないですね。
今でこそ温暖化は降雪量にまで影響を及ぼしていますが、昔は3m4mは当たり前だったんですからね!!
想像してみてください。当然町の道路があります。その両側に家が立ち並んでいますね。雪が無ければ右側から左側へなど普通に渡れます。しかし、真冬は右から左に渡っているあの電線をまたいで歩くほど、つまり道路の雪は二階の屋根より高い訳だから電線をまたぐ・・・となります。危険ですよね考えてみたら。
何故道路の雪がこんなに高いかというと、立ち並ぶ家はほとんど繋がっているため、屋根の雪を落とす場所がないんです。
普通の降雪量にプラス屋根の雪が降ろされてそれはもうおとぎ話の世界です。

消雪パイプが登場するまではこの状況でしたから隣同士は勿論、みな近所は助け合うという実に雪国ならではの連帯感と温かさがありました。
これだけの雪ですから当然雪降り前に家や樹木を守るための「雪囲い」という作業が待っています。兼六園の雪囲い風景で少しは想像できると思いますが、越後のそれはその比ではありません。
家の窓、大切な樹木。ひとつひとつ、一か所一か所家を、樹木を、傷つけないように豪雪から守る。これを雪囲いと言います。
縄の使い方が子供の頃から上手いのは当たり前なんです。11月の文化の日を過ぎるとそろそろでしたね。

写真の1枚に家の全景が見える写真がありますが、1階をこのように底上げする家が増えたのはおそらく昭和40年が過ぎた頃からだと思います。
こうすることで、冬でも1階が明るくなったんですね。