心の魔力

また夏が来るんだ・・・!今年はどんな夏だろうね!!?

昨年は8月1日に波島陽子がふるさと湯沢市にある楽曲を贈りました。それも生まれて初めてのリモートで。

そうなんです。今このリモートが当たり前になろうとしています。実際使ってみて当時はコロナで秋田(湯沢)まで行けなかったからそういう意味では便利だとは思いました。

しかし、まあ見ていてください。便利は必ず不幸という弊害を招きます。

人間というのは「心」あって成り立っているからです。

昔、修学旅行で関西に行ったとき、そこで日本の素晴らしさにたくさん触れました。お寺の息子ということもあって神社仏閣は興味の中でいっぱいでしたね。

奈良の薬師寺に行った時です。当時説法をして下さったのが高田好胤さんで後に薬師寺の館長になられた方です。館長のお話は面白かった。その中の一節に「洗濯機とお母さん」という話。今でも鮮明に覚えています。内容は母親の愛情を説きたかったんです。

館長は続けました。「君たちはお母さんがごしごしとタライで洗濯板を使いながら額の汗をふきふき洗濯している光景を見たことあるだろう!?・・・・」と。

つまり言いたかったことは、洗濯物を洗濯機に投げ込んでスイッチひとつで洗濯が終わる。これでは母親の愛情が伝わらない・・・と言うのだ。しっかり理屈は分った。便利なものを使う側の問題を説きたかったんです。

子供の頃にはクーラーなど無かったが、縁側から来るその風の心地よさは扇風機も敵わない、言葉にも出来ない自然の涼でした。先日隅田川を散歩していて、桜橋の上にさしかかったときに偶然吹いて来た初夏の風で思い出しました。味わったものにしか分からない。それは大空を見上げ、叫びたくなるほど気持ちの良い大自然の風です。みんなに教えてあげたいくらいでした。

この時代にこんな話をしたら笑われるだろうと思う。でも、心の原点は自然の素晴らしさなんですよ。電話やメールは今や当たり前のツール。ここでも私は極力ペンを持てるときは手紙を書くことにしています。

貰ってみれば分かりますが、手紙には心の魔力がありますね。つまり、人としての愛情の大切なひとコマなんだと思う。勿論ペンを執っているときにそんなことは考えていません。逆に私は人一倍メールを使っている方だと思います。100余名にも膨れ上がった教室の生徒さんへの連絡や確認事項に欠かせないものですからね。

それでも、このメールでさえ何か一言添えられたらな~といつも四苦八苦しています。言葉を探して無理に文章を作るのではありません。その人にはその人への思いがあるはずだからです。だから、相手のことを思わないと決して思い浮かばないものです。

便利さが不幸を・・・と言ったのは便利が悪い訳ではありません。便利なものも愛情に変えられるようなほんのチョットした工夫で心を守ることが出来るかも知れない。そう言いたかったんです。

先日、どうしてもの買物に新宿を訪れました。コロナ禍に、人の心でこんな光景を見ることがあるんです。少し嬉しかった。