雪国育ちが語る

テレビの前で、例年にない大雪だと騒いでいる。
豪雪地帯育ちの私にとって、冬に傘を持って家を出た記憶がない。シンシンと降る雪はとても傘などで対応できないほどの量だったからね・・・!!
昔はアノラックと言って今でいうスキーウエアーみたいなものを着ていた・・・。
その少し前まではマントでしたね。私の母などが使用していたのが「かくまき」です。
今何故こんなに大騒ぎし、大変かというと、ご存知のように物流を始め交通機関が整備され便利になったからです。
つまり、雪国は冬季間は車は通れないと思っていた。従がって、積もるだけ積もって居ました。

雪国育ちが語る

これがその証拠写真です。降った雪はそのままどんどん高くなる。それでも、家の雪は降ろさないと家がつぶれてしまう。だから150cmほど積もれば必ず屋根の雪降ろしです。多い時は4日も続けて大屋根に昇った記憶があります。写真を見て分るように、道路もどんどん高くなり家を見下ろすなんて決して珍しくなかったんです。
主要道路(国道)が冬でも通れるようになったのは昭和40年頃じゃなかったでしょうか・・・!!
その頃に登場したのが「消雪パイプ」です。道路の中央から噴水状で水が出る。さすがによく消えました。しかし、それは水道の水では消えません。つまり冬温かい井戸水を利用しているからです。確かに便利でした。すると待ってましたとばかり車で移動しようとする町民が続出!!この便利さは大変な不公平を招きました。
つまり、予算のついた道路のみでしたからね。
以来、それぞれ市町村の予算が計上され除雪車が登場ということになりました。
今でこそ、クロネコヤマトだ佐川急便だと言いますが、車が通らなかった頃は全ての荷物は国鉄(今のJR)貨物で各駅に運び、そこから各家庭に日本通運(日通)の「大型ソリ」が雪の山を越えながら各家庭に荷物を届けたんです。

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遊びも様々でした!! 大屋根から小屋根に、そして庭先や道路へ向かってこの様にスキーで滑り降りる。 ジャンプ台とは違って少しスリルがありますが、雪国ならではの夢の世界でした。
勿論、2階の屋根ほどの大きな雪ダルマづくり。そのお腹に穴を掘って「かまくら」を作ってよく遊んだものです。雪での工作ですからなんでも創れました。
殆どの人が見たこともないこうした遊びで大きくなったんですね。
今では、家の周りはコンクリートを打って消雪設備が施されていますので屋根から落ちたら殆ど死ぬか大怪我!! 昔は写真のように家の周りは雪ですから屋根から落ちても死ぬことはなかったですね。
行政でも除雪が大々的に行われるようになり、町内の雪景色はすっかり様変わりしました。

雪国育ちが語る

それでも町の中央から離れると殆どがこの光景でした(写真)
雪国の人間は辛抱強い、我慢強いと言われるわけですね。

その代わり、春になると大地が顔を出し始める。「土だ・・・」と騒ぎ、「ふきのとうだ・・・」と大喜び。人が人として一番大切なドラマを雪国の人はみな経験し、素晴らしい日本の春を迎えたのです。

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除雪車が通っても、しばらくはこの状態です。
雪国の人達は全てこの経験をしています。雪の降らない関東地方へ逃げるのではないけど、「行きたいな~」「住みたいな~」は世の常のような気がしてなりません。雪が降らなきゃその苦労(重労働)は要らないんですからね・・・!!

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大雪警報の中、今日も雪国のみなさんは余計な労力(雪)と闘っています。
道路の雪が少ないのは、車を通すために除雪車が通ったからです。
前述のように、なら消雪パイプをと思うでしょうが、これを出すことで地盤沈下が起きてしまいました。したがってシンシンと降る夜中だけ井戸水を出しているんじゃないでしょうか・・・!?
余計な労力、余計な出費。 良いことなどホントにないんですよ。でも。その代わり、人が優しく、情に厚く、思いやりがあるのは雪国育ちだからなんでしょうね。
そういう私も今は都会生活ですが、妹弟を思うと心から「頑張って・・・」と祈る毎日です。