くねくねと曲がった小さな石畳みの舗装箇所。実はここ現在は公園になっていますが、なんと昔は隅田川へと続く川だったんです。
江戸の人たちにとって隅田川やその界隈がどんなにいい雄山の場所であったかは小唄においても知ることが出来ます。
つまり、𠮷原通いですね。舟の場合は、まず柳橋の船宿で舟を雇い、隅田川を昇り山谷堀で下船し、船宿で一服してから、徒歩または駕篭で𠮷原へ向かったとか!!
舟には屋形舟、屋根舟、猪牙舟があったそうです。勿論、駕篭で𠮷原に向かう人、様々だったらしいですが、ただ舟や駕篭はお金がかかります。ですからお金持ちでないとこのルートは選べなかったようですよ。
写真のこ道中、隅田川を離れいよいよ𠮷原へ。
駕篭の中には吉原駕篭と呼ばれる𠮷原通い専用の小窓がない駕篭もあり、雨風を防げて人とも顔合わせすることがなく重宝されたとか!
舟は駕篭に対しては実用性に劣るかも知れませんが、舟通いのルートには隅田川の数々の名所があったようです。隅田川界隈の名所を眺めながら顔なじみの花魁を想って通えば千里も一里(笑)そんな風情が伝統芸能創作にピッタリだったようですよ。 粋でしたね。
この公園の歩道が・・・、その川だったとは