伝える舞台

さあ、いよいよ湯沢公演まで3ケ月となりました。あっという間だあっという間だ、本当にあっという間です。

出演者もよく頑張って来ました。もう少しで本番という緊張感はさすがにそろそろ実感として湧いて来たようです。「備えあれば患いなし」、まったくその通りです。舞台に上がるということはある責任を持たされるということですからね。その責任が自覚となって成長するんだということもこうしたことから学べます。

私は様々な芸事を通じ悟ったことがありました。40代の頃ですね。制作会社を営んでいた関係で自らマイクを持つ機会(司会)はその数プロ並みでした。自分でとってきた営業。お客様は最初抵抗があったと思います。なんだ、司会は自分でやるのか・・と。

しかし、蓋を開けてみて全て納得されました。接客業で培った話術、それに「話し方教室」での研修。東京話し方センターに江川ひろし先生が居て、話すことの重要性を根本から学べたことが財産になりました。つまり、話の組み立て方の基本。台本を読むようでは失格です。仮に読んだとしても自然と語るようになる。「話す基本のテーマはひとつ」「話題は豊富に」。

懐かしいですね、綴りながら当時が思い出されてきました。結論は、話すことで相手が感動するような話術ということです。

これは演技でも同じことが言えます。勿論日本舞踊にもしっかり当てはまります。国内には多くの小劇団、殺陣のチーム等々特にインバウンドとささやかれ始めたころからその数は増えました。ご存知のようにこのコロナ騒動で止む無く活動を中止に追い込まれたチームも少なくありません。もっと言えば、本物でないと生き残れないという意味ではコロナをキッカケにみな考えさせられたことでしょう。

整理すると、心の無い上辺だけの団体は淘汰されたんだと私の親友は語気を強く語っていました。そうした団体に多くの若者が興味を示し集まって来る。一見とても嬉しいニュースに見えますが、主宰者は責任が持てるのかと問いたいほど将来が不安でした。他人のことはとやかく言えませんが、人生は信念と確固たる将来性を見据えて若者には飛び込んで欲しいですし受け入れて欲しいです。

しかし、安心できるチームも勿論存在します。それが主宰者の人間性と生き方に表れているんですね。そういうチームは頼もしくも思います。

「教える」ことは「伝える」に等しく、まさにそれは日本独特の文化として継承されていかなければならない領域なんだと思います。

この秋の湯沢の舞台、この舞台も同じことが言えます。日本の伝統文化を伝えること、舞台をお借りしてその感動を広める作業。本物でないと伝わらないことを出演者にしっかり体験して頂きたい。感動されたとしたら、上手く伝えられたということですからね。