日舞・天才振付師誕生

私が波島陽子に初めて出会ったのは浅草での「淺香光代新春公演」でした。
もうかれこれ23年も前になりますかね!!
当時は芸名を「森陽子」と言っておりました。

実は私は淺香先生のお芝居を観に行ったのではなく、その頃私はある会社の専務だった関係で当時勤めていたその会社の「創業記念行事」に、出来れば淺香先生に「祝賀舞」を踊って頂きたく会場を訪ねたのです。

楽屋で淺香氏が放ったひと言!!!!!
「あなたが踊りなさい。教えてあげるから・・・!!」これには参りました。当然断りましたがそのしつこさには脱帽でしたね(笑)。
3ケ月も口説かれ続けて芸事が嫌いじゃない私は「では私が踊るということではなく・・・」と趣味の一環での気持ちをもって通うことになったのです。

ところが、ここでもまたしてやられました(笑)。
教えるのは淺香先生でなくお弟子さんであった当時の森陽子さんが指導を担当!!!
でも仕事が忙しくて合計5回くらいしか通いませんでしたね。
ところが・・・・、この5回で十分でした。

当時勤めていた会社の社長を男にしたい(参謀として)と5年ほど勤務していたその会社を辞め、つまり当時の「森陽子」を日本一の振付師にするための応援団長を引き受けることにしたのです。理由は彼女の想いです。
今でもこの振付作品(DVD)の制作販売という形式は波島陽子以外殆どやっていません。

販売するというのはそれだけ魅力ある作品に仕上がらなければとても販売は難しいのが正直なところです。
彼女の振付に関する完成度は抜群の魅力があります。私はこの5回のお稽古でそれが分かったのです。
その上、全国の日本舞踊愛好者のみなさんにもっともっと気軽に舞踊(新舞踊)を楽しんで頂けるように「振付作品(DVD)」を制作したい・・・の本人の気持ち。
「風流水景色」、私は最初の制作作品のこの収録現場で胸が熱くなったことを今でも忘れません。
私の人生を彼女を「日本一の振付師」にするための仕掛け人として生きることを決めたことになんの迷いもありませんでした。

詳しく言えば、
①彼女の芸の美しさは言葉では言い表し難いほど素晴らしいものを感じた事。つまり、抜群の表現力があったこと。
②そしてもっと大切なことは、人間性に尽きました。
この人間性があって観る者を惹きつけるんだと確信できました。

案の定、ご購入頂いた当時の皆さんは15年経った今でもお陰様で彼女の振付作品を追い求めてくださっています。

つい先日も九州からわざわざ浅草に会いにやって来た愛好家の方がその舞姿に心の底から感動して帰られました。
まだDVDとして作品になっていないにも関わらず、披露した踊りのDVDが欲しい・・・と大変でした。
「この作品はまだまだ収録の予定は無いんですよ・・・」、帰宅後九州から何度も何度もラブコール♫!!
つまり、その気持ちは手に取るように判ります。お稽古場で感動した作品を「私も踊りたい・・・」。
全国各地の舞踊愛好者の皆さんも同じ気持ちなんですね。

踊りが美しいのは勿論ですが、優しい色気があってその感性から表現される作品の素晴らしさ。天性のものでしょうか・・・・!?

相手を思いやる心、誰よりも謙虚だというところ。そしてなにより相手が年下であっても「感謝」の心を持ち続けているところ。そこが感性と共に作品に乗り移る凄さなんだと思います。

総括してこの真似の出来る人はそうそう居るものじゃない・・・と確信できるほどの素晴らしさを感じました。

淺香事務所を退社した彼女に果した私の最初の仕事として「森陽子」改め「波島陽子」と名づけました。

念願であった振付作品の制作。第1作目は「女鬼龍院」と「風流水景色」の2作品を収録。

日舞・天才振付師誕生

この2作品が波島陽子最初の振付作品として初めて世に出たのです。

勿論最初は映像会社に製作依頼ですから高いものにつきました。これを100本製作。しかしあっという間の完売でした!!当時の新舞踊愛好者はご年配の方が多く、その殆どが「VHS」形式だったんですね(写真左)(右はDVD)。

そしてこの作品の振付けに更に更に確信を得ました。
淺香道場でのお芝居の経験が無ければおそらくここまでの作品にはならないのでしょう。いかに師匠(淺香氏)にしごかれたかが容易に判りました。

私がいつも話す「感性」、「芝居心」、「しぐさや振る舞い」に現れるその表現方法はまさに「波島流」として確立していると心を強くしましたね。。

素晴らしいことに、波島の振付には「嘘」が無いという事です。
この嘘が無いという表現こそ波島陽子の神髄なのです。
勿論この振付作品は全てが「新舞踊」ですがその美しさは他の追随を許しません。
しかも新舞踊でありながら「なんという品のある・・・」と多くの評価を受ける踊り。「嘘がない」ところに、芝居で培った表現力は何にも増してその美しさを醸し出します。
小学5年生の頃からすでに観るテレビはNHKの大河ドラマだったそうです。つまり、芝居が好きだということ、歴史に詳しいということ。加えてこれらは天性のなにものでもないと言いきれます。
その上、誰よりも人として素晴らしい人柄がその作品にも表れていることでした。

現在ネットに「梅川」という作品(動画)が載っています。他でも多くの振付けで同じ題材作品(梅川)が載っています。是非見比べてみて下さい。

私は他の作者の作品が悪いと言っているのではありません。波島陽子の振付の凄さは踊っている方なら判るそうです。

第1回収録作品「風流水景色」と「女鬼龍院」は驚くほどの注文でした。
まさに沖縄から北海道です。
そして月日が経ちタイや韓国、台湾、ブラジルからも多くの愛好者が増え続けました。
これがきっかけで全国の多くの皆さんと知り合え、今日まで日々勉強させて頂いております。

私はよく「心」を説きます。踊りに限らず「心の持ち方」ほど大切なものは無いからです。しかし、波島陽子はそれを口にせず誰よりも謙虚です。極端な言い方をするとお稽古場でなど分かりやすく言えば、どっちが先生でどっちが生徒か分からないことがあるほどと言って良いでしょう。
威張らない、奢らない、謙虚で優しい。到底他の師匠の真似の出来る所ではありません。

日舞・天才振付師誕生

数年前に能楽堂で他団体との競演の機会を頂きました。我が波島社中は総勢7名が参加。日本舞踊(新舞踊)チームは5団体ほどだったと思います。
当時の舞台演出兼監督が私を呼んでこう言いました。
「岡部さん、陽子先生は別格でんな~」・・・・と。最初何を言っているのか分かりませんでした。
つまり、それはリハーサルでの各団体のリハーサル風景にあったようです。
日本舞踊(新舞踊)は得てして厳しい先生は少なくありません。中にはこのような本番会場では萎縮している生徒さんも当然多く見受けます。

師匠にすれば思うようにお弟子さんの動きが悪ければ非常に強い口調で注意の声も飛びます。
長い事全国で演出をしてきた監督が言うには、「波島先生がリハーサルのときにどこにいるか判らない」ということなんだそうです。

しっかりと教え込んだメンバーに「立ち位置」の確認程度だからなんですね。
だから楽しい雰囲気の中での場当たり(リハ)はもの静かになるんです。

指導というのはいろんなケースがあって当然です。
波島陽子は基礎を徹底的に教え込んでいるので本番のお弟子さんの舞台は本当にどの作品も美しいと評判です。

日舞・天才振付師誕生

新舞踊を習いに全国の先生が浅草(波島教室)に足を運んで下さいます。

振付作品(DVD)の販売担当をやっていてハッキリ言えることがあります。
最初出した「風流水景色」を例にとっても、その振付(踊り)の美しさに魅了されこの1本がスタートで即次のご注文が届くことはお判り頂けたかと思います。
こればかりは振付の能力(ぎじゅつ)ですのでこれこそ真似の出来ない芸術と言えるのでしょう。

購入された方から決まって届くご意見は「浅草で直接陽子先生から指導を受けられる生徒さんが羨ましい・・・」と。
その気持ち、痛いほど判りますね。

中には「発表会でご披露される作品の90%は波島作品です」と話す各地のお師匠さんも居ました。

このところ、少しコロナも緩和気味なのか昨年の12月から今月の5月までの半年間、なんと毎回違うチームの方ですが台湾からお稽古に浅草に来て頂いて居ります。台湾では新舞踊がブームなんだそうです。

お話したように、最初は教室運営など全く頭に無く、ただひたすら振付DVD制作を主体に活動していました。
ところが、販売告知手段にはどうしてもホームページは欠かせず、チラシからホームページへと平成20年に念願のホームページを開設しました。
すると、驚くことに即一人二人と生徒さんが「日本舞踊を習いたい・・・」と通うようになったという訳です!!

当時はお稽古場も持たないので、いくつかの貸し稽古場をまるでゲルマン民族のように回り回ってお稽古を重ねていました。
ところが、2年後にはどうしても専用稽古場が必要となり念願の「波島陽子日本舞踊教室」が浅草雷門に誕生したという訳です。話しているだけで懐かしくなりますね。
開校が平成22年でしたから翌年の平成23年に最初の発表会の話が出たときは驚きました。(それほど生徒さんが集まったということです!!)

ところが、ご存知のように23年の3月にあの「東日本大震災」でした。
秋の発表会どころではなくなりましたね当時は。
しかし、悩んで悩んで悩んだ末に「負けるな・・・」と予定通り決行を決意。9月には大盛況下の開催となりました。

私はこの最初の舞台準備で改めて師匠波島陽子の人間性に触れることができました。堂々と踊りきる生徒さんを見てその指導力に驚いたのです。
舞台は魅せることが出来てナンボですからね。

日舞・天才振付師誕生

舞台女優なだけにその舞台は美しくかっこいい♫ 師匠(淺香光代)仕込みか時代劇や渡世人等々の作品は天下一品です。

併せてインバウンドの一環として浅草で初めて本格的な「着物を着て浅草を歩こう・・・」や「日本舞踊体験教室」も波島陽子が最初でした。

日舞・天才振付師誕生

3年ほどするとやはり真似をする業者が続出!! ただ、波島はあくまでも本物志向ですから仮にイベントであってもまがい物をお見せする、着せるは出来ません。そうこうしている内に本業の日本舞踊教室の生徒数が激増し、とても他のことをやっている暇がなくなってしまいました。

波島陽子の振付作品は200曲ほどありますが、製品化されたのがまもなく100曲。100曲到達したら記念にディナーショーでもやりたいね・・・となっています。

日舞・天才振付師誕生

今では立派なお弟子さんも増え、本当に先が楽しみでなりません。
私たちが教えられるほど心の優しいお弟子さん。先生譲りではなくきっと類は友を呼ぶの典型かも知れません。

浅草で育って浅草で日本の「伝統」や「文化」を伝えたいとすでに円熟味を増した波島には果さなければならない役割がはっきりしています。

コロナの4年強にあって、生徒さんが増えるばかりだった波島教室。何か人の優しさや生き様は間違いなく多くの皆さんに伝わっているようです。

日舞・天才振付師誕生

つい先日も高校生になったばかりのお嬢さんが「日本の文化」を学びたいのでとやって来ました。 
心の持ち方を大切にしている波島陽子にとって嬉しい出来事の連続です。

110余名もの生徒数に膨れ上がった波島教室は毎日が花が咲いたようです。
お一人でも多くの皆さんに日本舞踊を通して美しい日本の心を伝えたいと歩き続けてきた波島陽子。立派な先生になりました。

日本の素晴らしい伝統や文化を、良い作品や良い技術をもって伝え続ける波島陽子に心からの拍手を贈りたいと思います。

多くのみなさんに認められ、お陰様で波島陽子日本舞踊教室は、東京都内の日本舞踊教室の人気ランキングで今年もまた1位に輝いています。

素晴らしい生徒さん、素晴らしいお弟子さんが居てこそですね。