昭和の童
(銀座四丁目)

よく分かりませんが、戦後まもなく復興して来て、元気になり始めた東京の姿はこんな感じだったんじゃないでしょうか!?
そう考えると雪国の発展はまだまだ先の先だったんですね当時は。

田中角栄が群馬県との境にそびえる山を削って「我々(新潟)の雪はみんな関東に追いやるんだ・・・」と言っていたそうですが頷けますね。

昭和の童

本当にこの通りだったんですよ!! 屋根より高いのは鯉のぼりだけでなく、家の周りは全くこの状況そのものです。これはまだ70%くらいだと思います。
雪の降ろし場が段々無くなるので当然大通りへも投げおろします。

これだけ雪を降ろして道路はどうするの・・・と思うでしょう!?
冬は車は一切通らなかったんです。勿論全て歩きです。
今のようにクロネコだ佐川急便だではなく、運送は国鉄直の日本通運が全ての配送。それも長い運搬用のソリで・・・!!

家の周りに降ろされた雪(もう積み上げられたが正解)は2階の屋根より高くなっていくのは当然。 つまり家の中は真っ暗になります。

早い年で11月末から。遅くとも12月の中旬までにはもう屋根の雪下ろしが始まります。
小学4年生くらいまでは恐くて屋根には上がれません。屋根の積雪は自分より高く危険だからです。5~6年生になるとさすがに父と上りましたね・・・。

ご存知のように、屋根の雪下ろしはとても一人でできるものではありません。
だから私が子供時代は必ず知人の人たちが最低でも2人ほど応援に駆けつけました。

雪下ろしが終わると夕方5時前後ですがもう真っ暗です。
母が1時間も前から酒のつまみを準備し、雪下ろしを終えた人たちにもてなすんですね。こたつに入って「頭(屋根)が軽くなった」と喜びながら唄が出る。

これはおそらく全家庭がそうだったはずです。
「ご苦労様でした」「助かりました・・」が飛び交います。不思議と笑顔も飛び交うんですね・・・疲れている筈なのに。
こんな状況がひと冬最低7回くらいは普通でした。雪下ろしをしないと家がつぶれるからです。

そうですね。昭和の終わり頃はこの雪下ろしに一人17.000円~25,000円くらいはかかるんです。
計算してみてください。1回最低2人は来ます。仮に1人1回2万円としましょう。 最低2人ですから1回4万円です。これが1シーズン5回降ろしたとしましょう!! ひと冬最低雪下ろしに20万円はするんですよ。きっとこのくらいは序の口だったでしょう。3人なら30万円が必要ということです。
だから、昭和の終わり頃から急激に消雪設備をみなさん施したんですね。