昭和の童
(浅草寺の鯉のぼり)

今日は子供の日ですね。
「屋根より高い鯉のぼり・・・」「柱の傷は一昨年(おととし)の5月5日の背比べ・・・」

この歌、都会ではもう現代に意味があてはまりませんね。
だって、どこを探しても屋根より低いですからね鯉のぼりは。でも、田舎に行ったらまだまだこの歌は通用するのかな!?

「鯉のぼり」、面倒くさがらずに上げてやってください。そして歌も歌ってください。日本の原点はしっかり遺さないと。

本日を境に、しばらく私が生きた時代(しょうわ)を故郷とともに綴ってみたいと思いました。いろんな思い出でいっぱいでしたからね。
げんこつもらった痛みが懐かしい時代です。 今では社会問題になるであろう「げんこつ」。ホント、懐かしいな・・・・!

私は豪雪地帯あの雪国で育ちました。最近ではNHKの大河ドラマ「天地人」の主人公「直江兼続」の生まれ故郷です。このドラマが放送されたのがもう13~4年前かな!?

昭和の童
(右の町が我が故郷です)

お米で有名な魚沼と言ったら分るでしょう。四方を山に囲まれた魚沼盆地六日町で私は誕生しました。
この地域はその都度何日かおきに「市(いち)」が開かれていたらしく、二日町・五日町・六日町・七日町・八日町・十日町等々とありますが、きっと一から十まであったんじゃないでしょうか!?

私が生まれた頃は、まだ道路がまったく舗装されていない砂利道時代ですからまるで映画「二十四の瞳」の舞台に近いようなものです。

もうみんな昔の話ですから若い人には馴染がないでしょうが伊豆の踊子や雪国を執筆した川端康成先生の舞台「雪国」がまさにこの魚沼です。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」、あまりにも有名な、川端康成の小説『雪国』の冒頭です。

そうなんです。ここで当時のわんぱく坊主は生まれ、育ちました。

わんぱくとは、いたずら盛りで大人のいうことを聞かない子供を指すようですが、おかしなわんぱく時代であの頃の昭和の良さに触れてもらえたら嬉しいな・・・としばらくシリーズで綴ろうと思いますのでこれから始まる「わんぱく物語」、是非お楽しみに。