それでもぶれない

平成に幕を降ろしたとき、昭和が終わった頃を思い出しました。あの不思議な感覚はいまでも鮮明に覚えています。めぐり合わせも凄かった。昭和の歌姫「美空ひばり」も同じく1989年に幕を降ろしたんですからね。

あれから32年、すでに波島陽子は全国の大舞台で活躍していたとは!!

波島は、全盛時の淺香光代先生のお陰でいろんな舞台を経験させて頂いたようです。美空ひばりさんもまだお元気な時に励ましの声をかけて頂いたことに感激だったようです。「あの小柄な体のどこからパワーが!」、芸の力を身をもって感じた瞬間だったそうです。

同時に私も同じ時期、ひばりさんの葬儀に駆けつけたその足で椿山荘の舞台に上がった森進一さんのことが思い出されます。当時森昌子さんとご夫婦でしたから昌子さんが喪服姿のまま舞台袖で森進一の舞台を見守っていた姿が印象的でした。

当時、制作会社を営んでいましたので全国のホテルや大きな会場で数えきれない多くの歌手を仕込んでディナーショーをやっていた頃が昭和から平成にかけてでした。

そして31年、またも天皇陛下崩御で時代は「令和」となりました。令和に入ったばかりの5月の初旬、私は波島陽子の故郷湯沢市にお邪魔していたのです。湯沢行きを計画したのは平成でしたからこの転機に生まれた企画が「粋と艶との晴れ舞台」だったわけです。

それから2ケ月もしたころでしたね。福岡に実家のあるお弟子さんがご家族で私の為にとこの御朱印を頂いて来てくださったのです。よ~く見てください。「令和」の名が付いた由来の神社「坂本八幡宮」の御朱印です。頂いたときは感動で涙が溢れ出ました。人の気持(こころ)の温かさに勝る愛情はありませんね。勿論大切な大切な私の宝物です。

それから年が明けるとやって来たのがコロナでした。我慢の連続に多くの皆さんも苦しみ、大変な時代へと突入しました。それでもぶれないで頑張れるのはそうした心の拠り所があるからなんでしょう。負けずに頑張ってお稽古しているお弟子さんたちの為にも素晴らしい舞台の幕を開けたいと思うから尚更です。